忘却曲線は「覚えている割合」のグラフではない——節約率という指標の正しい読み方
公開: 約13分メモハック開発者
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「1日で約7割忘れる」——エビングハウスの忘却曲線として広まっているこの言い方は、元の実験が測っていたものとは食い違っています。エビングハウスが記録したのは「どれだけ覚えていたか」ではなく、覚え直すときにどれだけ手間が減ったかを示す節約率(savings)でした。この違いは用語の細かい話ではなく、復習計画の立て方そのものを変えます。実際、Murre・Dros (2015) による再現実験では、忘却曲線はなめらかな下り坂ではなく、1日を境に一度持ち直す形をしていました(https://doi.org/10.1371/journal.pone.0120644)。この記事では、節約率が何を測った数字なのか、そしてよくある誤読をどう避けるかを、原典のデータに沿って整理します。
忘却曲線の「節約率」とは何を測った数字なのか
節約率は、一度覚えた材料を覚え直すときに、最初の学習と比べてどれだけ手間が減ったかを示す指標です。Murre・Dros (2015) はこれを「2回目の学習試行で節約された時間の相対量」と定義しています。覚えている項目の割合ではなく、再学習コストの削減率を測っている点が本質です。
計算そのものは単純です。Murre・Dros (2015) は原典の例をこう説明しています。ある系列を完全に言えるようになるまで25回の反復が必要で、1日後に覚え直すのに20回で済んだとすると、5回ぶん少ない。もとの25回に対して5回なので、節約率は20%になります(https://doi.org/10.1371/journal.pone.0120644)。
ここで測られているのは「思い出せたか」ではありません。一度も思い出せなかった項目でも、覚え直しが速ければ節約率は上がります。Murre・Chessa (2022) は、節約率で測った忘却の形が初期の記銘の強さに依存しないことを示し、この指標が初期学習の条件に左右されにくい「純粋な」記憶測度だと論じています(https://doi.org/10.3758/s13423-022-02172-3)。
なぜ「1日で約7割忘れる」という読み方が成り立たないのか
節約率の数値を、そのまま「覚えている割合」に読み替えているからです。節約率は再学習の手間の減り方であり、再生できなくなった項目にも節約は残ります。Murre・Dros (2015) も、節約率と再生・再認の値がずれることは他の研究者も見つけていると述べています。
節約率をめぐる典型的な誤読と、原典に沿った読み方を対照させます。
| よくある読み方 | 原典に沿った読み方 |
|---|---|
| 1日後の節約率0.337は「覚えている割合が0.337」 | 1日後の節約率0.337は「再学習の手間が0.337ぶん減った」 |
| 曲線はなめらかに下がり続ける | 再現データでは1日から2日にかけて持ち直す区間がある |
| 忘却の速さは誰でも同じ | 起点は被験者1名の反復実験であり、個人差は設計上扱われていない |
| 思い出せなければ記憶はゼロに戻る | 再生できなくても再学習は速くなる(節約が残る) |
この違いは実務に効きます。「ゼロに戻る」と読むと、復習のたびに初回と同じ時間を確保しなければならないことになり、社会人の可処分時間では計画が破綻します。節約率の読み方なら、2周目以降は短くなる前提で組めます。
再現研究では忘却曲線はどんな形だったのか
なめらかな下り坂ではありませんでした。Murre・Dros (2015) は実験フェーズに約70時間を投じてエビングハウスの手続きを再現し、節約率が1日後0.270に対して2日後0.286と、いったん持ち直す形を報告しています。著者らはこれを、24時間の地点から始まる上向きのジャンプと表現しました。
以下は Murre・Dros (2015) の Table 3 から、エビングハウス本人のデータと Dros による再現データの節約率を並べたものです。
| 保持間隔 | エビングハウス | Dros(再現) |
|---|---|---|
| 20分 | 0.582 | 0.442 |
| 1時間 | 0.442 | 0.325 |
| 9時間 | 0.358 | 0.270 |
| 1日 | 0.337 | 0.270 |
| 2日 | 0.278 | 0.286 |
| 6日 | 0.254 | 0.205 |
曲線の数学的な形については、解釈が分かれています。Rubin・Wenzel (1996) は210件の公表データセットを集め、それぞれを105種類の2パラメータ関数に当てはめて、対数関数・べき関数・時間の平方根の指数関数・時間の平方根の双曲線がよく適合したと報告しました(https://doi.org/10.1037/0033-295X.103.4.734)。一方 Wixted・Ebbesen (1991) は、べき関数が他の候補より良く記述すると論じています(https://doi.org/10.1111/j.1467-9280.1991.tb00175.x)。「唯一の正しい忘却曲線の式」が確定しているわけではない、というのが現在地です。
忘却はどこかで止まるのか
止まらないとは限りません。Bahrick (1984) は学校でスペイン語を学んだ733人を50年にわたって調べ、記憶曲線は最初の3〜6年で指数関数的に低下するものの、その後は最大30年間ほぼ変化しないまま推移し、最後にもう一度下がると報告しています(https://doi.org/10.1037/0096-3445.113.1.1)。
つまり忘却の速度は一定ではなく、初期にいちばん速く、その後は緩みます。数分〜数日を扱ったエビングハウスの曲線を、そのまま数年後まで直線的に延長するのは無理があります。試験まで数か月という現実的な射程では、初期の急な低下をどう受け止めるかが実質的な論点になります。
節約率の考え方を今日の復習にどう落とすか
「ゼロから覚え直す」という前提を捨てることです。節約率が示すのは、忘れたように見える材料でも再学習が速くなるという事実です。したがって復習は、初回と同じ時間をかける作業ではなく、短時間で回す前提で設計するほうが実態に合います。
具体的には、次の順序で回します。
- 復習は必ず「解き直し」から始める。テキストを読み返す前に、まず思い出そうとする。
- その単元にかかった時間を記録する。初回と比べてどれだけ短くなったかが、そのまま自分にとっての節約の目安になる。
- 短時間で終わった単元は次の間隔を延ばし、初回と同じだけ時間がかかった単元は間隔を詰める。
- 「思い出せなかった」だけで学び直しをやめない。再学習が速いこと自体が、記憶が残っている証拠になりうる。
想起から始める理由については、Roediger・Karpicke (2006) が、最終テストが5分後の場合は再学習のほうが良かった一方、遅延テストでは事前のテストが再学習よりかなり高い保持をもたらしたと報告しています(https://doi.org/10.1111/j.1467-9280.2006.01693.x)。詳しくはテスト効果の仕組みも参照してください。
復習間隔は何を基準に決めればよいか
試験日までの残り期間を基準にします。Cepeda et al. (2008) は1,350人以上を対象に、最適な間隔がテストまでの期間の約20%(数週間後のテスト)から約5%(1年後のテスト)へ縮小することを示しました(https://doi.org/10.1111/j.1467-9280.2008.02209.x)。ただしこれは目安であり、個人差と教材差があります。
以下は、その結果を資格試験でありがちな残り期間に当てはめた目安です。試験日までの期間に対する割合として読んでください。
| 試験日までの期間 | 間隔の目安 | 位置づけ |
|---|---|---|
| 数週間 | 期間の約20% | Cepeda et al. (2008) の実測 |
| 1年 | 期間の約5% | Cepeda et al. (2008) の実測 |
| 数週間と1年の中間 | 20%と5%の間で逓減 | 2点からの内挿であり実測ではない |
なお SM-2 のような間隔計算アルゴリズムは SuperMemo 由来のヒューリスティック(経験則)であり、上の研究知見から導かれたものではありません。実用的な出発点として有用ですが、最適解が証明された式ではない、という位置づけで使うのが妥当です。間隔の決め方は間隔反復のタイミングで詳しく扱っています。
資格試験の学習計画に組み込む手順
まず試験日を固定し、そこから逆算して復習日を置きます。次に、各復習を解き直しで始めて再学習にかかる時間を実測し、3回目以降は速く終わった単元の間隔を延ばします。節約率の発想は、この「速く終わったかどうか」を進捗の指標として使うことに対応します。
着手前のチェックリストは次の4点です。
- 試験日が確定しているか。確定していなければ、間隔を割合で決める根拠がない。
- 単元ごとに「初回にかかった時間」を記録してあるか。比較対象がなければ節約は測れない。
- 復習が読み返しではなく解き直しから始まっているか。
- 出題範囲や配点の前提が古くなっていないか。年度で変わる項目があるため、最新の基準は公式発表で確認してください。
よくある質問
忘却曲線の「1日で約7割忘れる」という数字は間違いですか
数字そのものではなく、読み替えが誤りです。エビングハウスが記録したのは節約率で、覚え直すときにどれだけ手間が減ったかを示します。覚えている項目の割合ではありません。Murre と Dros による2015年の再現研究でも、1日後の節約率は0.270でしたが、これは「27%を覚えていた」という意味ではありません。
節約率が高ければ、試験本番で思い出せるということですか
必ずしもそうではありません。節約率は再学習が速くなったことを示す指標で、手がかりなしに答えを書き出せるかとは別の測定です。Murre と Dros も、節約率と再生・再認の値がずれることは他の研究者も見つけていると述べています。本番での到達度は、本番形式の演習で別途確認してください。
復習は忘れる直前にやるのが一番効率的ですか
そう言い切れる根拠は薄いです。Cepeda らの2008年の研究が示したのは、最適な間隔がテストまでの期間に応じて変わることで、数週間後のテストなら期間の約20%、1年後なら約5%でした。「忘れる直前」を狙うのではなく、試験日から逆算して割合で決めるほうが、実行しやすく再現性もあります。
無意味音節の実験を、資格試験の勉強に当てはめてよいのですか
数値をそのまま当てはめるのは適切ではありません。無意味音節は意味的な手がかりを持たないため、条文や判例より忘却が速く出やすい設定です。当てはめてよいのは、忘却は初期ほど速いこと、再学習は初回より速く済むこと、といった定性的な性質までで、具体的な数値は自分の学習記録で測り直す必要があります。
参考文献
- Murre, J. M. J., & Dros, J. (2015). Replication and Analysis of Ebbinghaus' Forgetting Curve. PLOS ONE. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0120644
- Murre, J. M. J., & Chessa, A. G. (2022). Why Ebbinghaus' savings method from 1885 is a very 'pure' measure of memory performance. Psychonomic Bulletin & Review. https://doi.org/10.3758/s13423-022-02172-3
- Roediger, H. L., III, & Karpicke, J. D. (2006). Test-Enhanced Learning: Taking Memory Tests Improves Long-Term Retention. Psychological Science. https://doi.org/10.1111/j.1467-9280.2006.01693.x
- Cepeda, N. J., Vul, E., Rohrer, D., Wixted, J. T., & Pashler, H. (2008). Spacing Effects in Learning: A Temporal Ridgeline of Optimal Retention. Psychological Science. https://doi.org/10.1111/j.1467-9280.2008.02209.x
- Bahrick, H. P. (1984). Semantic memory content in permastore: Fifty years of memory for Spanish learned in school. Journal of Experimental Psychology: General. https://doi.org/10.1037/0096-3445.113.1.1
- Rubin, D. C., & Wenzel, A. E. (1996). One hundred years of forgetting: A quantitative description of retention. Psychological Review. https://doi.org/10.1037/0033-295X.103.4.734
- Wixted, J. T., & Ebbesen, E. B. (1991). On the Form of Forgetting. Psychological Science. https://doi.org/10.1111/j.1467-9280.1991.tb00175.x